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気ままさいと

       生い立ち

        −高等部編(最終回)

                宮内康裕

早いもので高等部三年生を迎えていた。この学校は制服が無いので転校して以来、特別な行事がある時くらいしか着なかったが電動車イスで通うようになり学生服姿の 同年代の子に毎日すれ違ったりたまに声を掛けられる人に「どこかに勤めていらっしゃるのですか?」等と聞かれる事があってそれがなんとなく嫌だった。自分は高校生だという事をアピールしたかったからだと思う。そこで学生服を着て通うことにした。中学校時代憧れていたが、気の小さい僕は違反とされていて着る事のできなかったダボタボした制服を着て尚且つ、髪の毛を茶髪にして世間では一般に「不良」とか「ツッパリ」と呼ばれるような格好をした。普通の学校ならば厳しく注意されるところだろうが、この会の顧問であるK先生に「茶色が足らねぇぞ。校則が無いのだからもっと染めて来い!」とはっぱを掛けられていた。

制服を着出して良かったと感じたのは、たまに行きや帰りに見知らぬ高校生が声を掛けてくれるようになったからだ。何度か女子高校生に「おはようございます」や「バイバイ」と言われて非常に嬉しかった。

それから一般の高校生のように制服姿で学校帰りに町で遊ぶというのが夢に描いていた高校生活の一つで、実現できて良かったと思う。

友達四人と学校の介助員さんでサッカーを観に行った時である。大久保代表が事前に横浜まで障害者席のチケットを取りに行った。その席は監督の真横に設けられていてすぐ目の前まで選手がボールを拾いに来たり、防護ネットに向かってボールが飛んで来たりして一般の席よりも迫力満点のプレーを観戦する事ができた。以前、野球を観に東京ドームへ行き、その時も障害者席を取ってどんな所で観られるのだろうと期待をしていたのだが、実際に行って見るとただ通路にロープで区切ってあって座る椅子も無く自分は車イスに乗っているので良いのだが、介助者の人は地べたに座らなくてはならなかった。大勢の人が利用するような建物には、必ず障害者や高齢者用のスペースを確保して欲しい。サッカーの帰り、電車の中でサッカーファンの親子連れに出会い父親の方が着ていたサイン入りのユニフォームを脱ぎ、それを僕達の前に着せ掛けた状態で写真を撮ってくれた。本人は裸のままで写真に収まっている。分かれた後、中学校時代の親友も一緒だったので、二人でビールを飲んでしまった。翌日、介助員さんに怒られてしまったが、確かにあの時は調子に乗り過ぎてしまったと今でも度々思い返しては反省している。

その他、先生と下北沢の障害者プロレスを観に行った。その帰りに新宿に立ち寄り、見たいものがあったので店に入ったのだが、欲しい物は二階へ上がらないと見られない所だった。しかも通路も細いので諦めようと思ったら、二人の先生が「せっかく来たのだから…」と言って、重たいのにもかかわらず車イスごとかついで連れて行ってくれた。

修学旅行でも様々な思い出があるが、やはり先生方や校長先生までが汗だくになりながら僕達を風呂に入れて下さった事だ。養護学校の修学旅行は今まで親に負担がかかっていたが、その時はほとんど全て先生方がみてくれた。

学校の前の桐生市街地に向かう道路は道幅が狭く車の通りがはげしい場所である。学校帰り、桐生の町へ寄るためにその道路に沿って走っている土手の上のサイクリングロードを行くことにした。出口に差し掛かった時、車止めのくいが何本か立っていてやむを得ず元来た道を引き返す羽目になってしまった。結局、狭くて危険な車道を通った。数日後、桐生市役所の福祉課にその旨手紙で伝えてくいを広げてもらうようにお願いした。何日か経った後で、学校に土木課の人が来て僕を車に乗せてその現場に連れて行って状況を見た。くいを修正すれば電動車イスが通れるという事が分かり、それからまもなく着工して通り抜けられるようになった。僕は県外なので、桐生市役所とは縁が薄く二回目の関わりにこの時もまた、市役所の対応に感謝した。

高等部の三年間は思い返せば短い時間であったが、精神面や体力面と両方で壁が取り払われたような気がする。

帰り道、夕立やにわか雨に遭うと国道五十号線沿いのガソリンスタンドや商店等で雨宿りをさせてもらった。するとそこで家に居場所を連絡してくれた。そういう事が度重なるにつれて知り合いが増え、僕達障害者の存在を理解してくれる人が世の中に大勢いるのだ、という事を改めて教えられた。

僕にとって健常児と共に過ごしてきた事も良かったし、養護学校でも素晴らしい親友や先生方と同時に多くの人との巡り会い、人生観が大きく変わった。本当に意義深い毎日だったと思う。これからも、今まで培ってきた事をバネにしながら頑張って行こうと思う。

                                                     (完)

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